top of page

〈1〉  移動としての相対化
建築を流動状態として捉えるという考え方をまず説明していく。移動という概念は移動する前の始点と目的地である終点とがあって初めて成立する。始点も終点もない移動はその場での足踏み、つまり固定である。僕は、今までの建築が相手にしていたものは、この固定された要素だったのではないかと考えている。だからそれらは一つの敷地の中で単一の建築の竣工を最終地点として構想されてきた。しかし固定ではなく移動の途中として建築行為を捉え直すと、例えば、木材を材木屋から仕入れて現場に運ぶ時はもちろん移動だし、三寸柱を切断する行為も、ノコギリの刃が三寸柱と大鋸屑とに分解すると見れば移動であり、解体もまたマテリアルの移動が連続する行為である。建築行為をマテリアルの移動として捉えるために意識されるべきは、動かされるものが、動かされる前にどこにあって、どこへ来たのか、あるいは、その後どこへ行くのか、ということである。少し具体的にいえば、自分が設計した建物の梁に使われる木材はどこの製材場で加工されたのか、その前はどこの材木屋が卸したのか、どこの貯木場で保管されていたのか、その前はどこの山で伐採されたのか、そして設計した建物で使用された後はどこのチップ工場に行くのか、あるいは転用されるのか、果たしてそれは何年後なのか、そうしたことを意識するということである。ここでいうマテリアルは、上記した素材のみならず、設計にまつわるコンテクスト全般を指している。例えばクライアント、熱解析される動く粒子、慣習的な平面計画も建築を構成するための「マテリアル」として捉えられ、そのそれぞれがどういう関係性を引き連れて、どこからどこへ向うのか、を意識することが建築行為をマテリアルの移動として捉えるということである。

〈2〉時間概念の内包
移動のために始点と終点があるということを意識する時には、必然的にそこにかかる時間が(瞬間移動でもできない限り)意識される。自分が設計する建物がどういう移動要素の中継地点として機能して、それぞれの移動してくる要素のタイミングはマテリアルによって違うのか、同じなのか、その建物、というか移動要素群はどの程度その場所に固定されているのか、いつまた動き出すのか、という具合で建築を設計することに時間概念が含まれてくる。例えば山一つを丸ごとリノベーションしたかの如く壮大な計画である安土城の石垣は500年その姿を変えない、動かない時間の長い構築物だが、それに対して木造でつくられた上屋の姿は今はなく、石垣と比較すると動きやすい構築物ということになる。元来、日本では、煉瓦造りやコンクリートの文化が流入する明治維新前までは石蔵等を除くほぼすべての建築が木造だった。庶民の家も、お城も、基礎は石だが、上屋は木造だったのである。そして、地域にはそれぞれ畳屋がいて、瓦屋がいて、建具屋がいて、大工の棟梁が今でいう設計施工の工務店のように職人たちを取り仕切って、部分的に木造を改修し続けた。部分的に駄目になった部材から交換する、地域で部材が流動する木造文化があったのである。また、「火事と喧嘩は江戸の華」といわれるように、多くの大火を経験した江戸の下町では、火事とその火事による改修を前提にストックの資材が家に置かれ、その度に火消しと大工がヒーローのように活躍していたといわれている。そもそも建物の部材は、流動し、うつろいゆくものという認識、つまりそれぞれのマテリアルへの時間感覚が確かにあったのである。

〈3〉 関係性の網への意識
建築を流動状態として捉えることによって、マテリアルの始点、終点、時間が意識され始めると、設計行為で扱われる要素が引き連れる関係性が、設計行為をマテリアルの固定として捉えるつくり方とは違った広がりで意識され始める。一つ一つの要素が固定されたら設計が終わるのではなくて、設計とはあくまでも移動と時間の中継地点を用意することであるとするなら、一つのマテリアルがどこから来て、どこへ行くのかまでを想定することが設計なのであって、その際に設計される状況とは、一つの敷地で完結することではなく、竣工のただ一点で完結することもない。膨大な量のマテリアルの組み合わせで成立する建築が持っている関係性の網をどこまで追えるか、あるいはどこまで持続させることができるか、ということが建築を移動するマテリアルの中継地点の集積として捉えることによって生まれる思考の展開である。そうした時に私たちが設計するのは一つの建築物ではもはやなく、そのプロジェクトが持つ関係性の網の先にある都市そのものになり得ると、少なくとも僕は考えている。

建築を流動状態として捉えること

2

2-〈1〉
2-〈2〉
2-〈3〉
bottom of page